精神科に通う人にとって、長く通えば通うほど精神科医との相性を意識したり、このままでいいのかと思ったり、疑問が沸いてくるものです。
そういったとき、私たちは模索し、考える。
何がベストなのかを。
そして、医者はその導き手でもあり、また、違う道に進むべきなのかのインスピレーションを与えてくれる存在だ思います。
そう思えたのは何故なのか、精神科医との付き合い方を私の体験から話してみたいと思います。
(※ここで話す薬に付いての話は、私個人の意見であり、専門家の知識ではありません。参考までにお読みください。ただし、記事を書く前提として、私は薬や治療に関する医師の専門書や治療ガイドライン、エビデンスの書籍を多く読み知識を増やしています。
また、これは私の実体験からの感想記事でもあります。専門の方からすると、私の主観的な解釈が間違っていると思われる場合もあるかもしれませんが、ご理解ください。)
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精神科医を疑う前に、知識を得ることが大事
よく「私はうつ病なのに統合失調症の薬が出された」というような不安に思う声があります。
例を挙げると、私の友人は職場への出勤恐怖症となって心療内科に行きましたが「抑うつ」と診断されました。彼女は精神科に通うような女性ではありませんが(身体的・精神的にも)それは妥当な診断でした。
(私は、対人恐怖症が近いと思うけれど・・・という意見でした)
しかし、ある事情で別の精神科に行った際に、1時間半もの臨床心理士とのカウンセリングの後、主治医から「適応障害と、軽く自閉症かもしれない」と診断がありました。
そう、つまり精神科医によって診断は異なる可能性は大いにあるのです。
というのも、統合失調症や双極性障害、パニック障害、強迫性障害(潔癖症など)のはっきりとした身体的・精神的症状が一般人から見てもわかるくらいであれば、病名はすぐに決定できるのですが、それ以外の精神的症状は何かに当てはめるのが非常に難しいようです。
とくに「うつ」については、はっきりとうつ病の症状が出ている人もいる一方で、少し落ち込みが激しかったり、何かが上手く行っていないと、簡単に「抑うつ」の診断が出されたりするほどです。
薬についても同様に、同じ病名でも処方する薬は医師によって違います。これはその医師の経験や治療方針によって出す薬が違うからであり、患者は基本的にそれには従うべきだと思います。
なぜなら違う可能性が見いだせるから、と私は思っています。
もしある薬で症状が改善したのなら、病院にはもう行く必要がないでしょう。
しかし通い続けるからには、何かの症状が残っているわけです。
でも、今のままのやり方では改善していないから、まだ通っているのです。
それを改善させるために医者はいろんな薬を試します。
医療(薬)の力で治療するのが医者の仕事だからです。
しかし、ここで患者には思い違いが起きます。
薬の種別名で「私はその病気なの?」と不安になる人がいますが、それは違います。
向精神薬というのは種別名で分かれていますが、同じ系統の中でどの性質が優れているかで種別化されていたりします。
たとえば、抗うつ剤は認知症の人や、がん患者にも出されます。
それは、うつ病のための薬ではなく「精神を安定させる」効用を求めてのことです。
違う病気が起因となり、抑うつ状態になる人に使われます。
同じように、睡眠薬と抗不安薬は基本的に同じ構造を持っていて、その中で睡眠作用が強いものを睡眠薬、抗不安作用が強い物を抗不安薬と種別しているだけにすぎません。
だから、うつや強迫神経症でない人にも抗不安薬は使えます。同じように抗うつ薬も睡眠作用があるので、一部の抗うつ薬を睡眠薬替わりに使う場合もあります。
また、統合失調症に処方される薬も、うつ病と考えられる人にも使われますし、もともとは向精神薬のカテゴリの一部です。
そして、これはネットにも書かれていますが、脳に作用するお薬と同じで、煙草やアルコール、カフェインも同じ作用(脳に作用する)を持っているのですよ。びっくりですよね。
だから「この薬が出たからこの病気だ」と違う方向に思い込むのはいけません。
正しいのは、「これはこういう薬だから、こういう症状の改善を狙っているんだな」と認識することが大事です。
薬とは科学実験での薬品の調合に似ているような気がします。
単体では効果がない⇒量を調整してみる⇒それでも効果がない⇒他の薬を試す・・・
そして、あるとき別の薬を追加すると症状が大幅に改善した。
なぜか?
このとき2つの薬を飲んでいた場合、後に飲んだ薬が効いたかもしれませんし、2つの薬の組み合わせがその人にベストだったのかもしれません。それは個人の体質や生活環境や癖や趣向、性格によっても変わってくると思います。
つまり、最終的に自分のことがわかるのは自分です。
だから、まずは医者の言うとおり出された薬を試してみることは必要なことでありますが、表面的な症状だけでなく、細かいところでどういった副作用が出ているかを、きちんと自分で観察することが大事です。
かえって、症状が改善しないまま慢性的に飲み続けるのはおすすめしません。
結局、効果が出ているのか、出ていないのかわからないまま飲み続けると、「自分は薬づけになっている気がする」と不安になる日が来ます。
きちんとしたお医者さんは、2週間ごとなどで判断して、様子を見るか薬を変えるか提案してくれるものです。しかし、ある程度症状が改善すると、それをずっと続けるだけの処方はとても多い気がします。
つまりここからは、個人の判断の出番です。
何かを追加するのか、薬を止めるのか、薬を変えて新しい可能性を探すのか、自ら打診し提案することが自分に合う薬を見つける可能性のひとつだと私は思っています。
病気ではなく人生を癒したいと思っていた私の話
病気は薬で治すことができる。
パニック障害の症状をほとんど抑えることができた私はそう思っていた。
しかし私は本当は、病気を作り上げた私の中の何かを癒したかったのです。
私が医者とのやり取りでもどかしい思いを抱くのは、やはり薬に対してです。
向精神薬の効果を評価するのは医者ですが、本当の体の症状を感じるのは患者です。このすり合わせはとても難しい問題です。
たとえば、何かの副作用らしきものが出たと思い医者に相談すると『この薬でそんな症状は出ません。』と言われる。だとしたら原因は何かを一緒に考えて欲しいと思った私はわがままだったのだろうか?
また、第二にもどかしく思うのは、価値観の違い。
人である限り価値観は違って当たり前なのですが、こちらの考えをせめて受け止めてほしい。
原因を見つけたいと悩む私に、『原因が何になるというのです?』とある医者は言った。
それは、ある意味では正論だった。
それでも、医者にとっての仕事が症状を緩和することだとしても、私は体だけでなく私の心の中の原因を突き詰めて自分の人生を救いたかった。身体がもし癒されても、それは完治ではないだろうと私は思ったのです。
生き方を変えなければ、再発するか、かすかな不快な症状を飼い慣らし共存していく生き方になるのだろう、と。私はもっと明るい方に行きたかった。
こう考えることがある。
私は今までで医者に本当に心を開いて話してきたのだろうか?
もどかしい思いを抱くのは、私の伝え方が足りないのかもしれない。
しかし、多数の患者を抱える先生の診療時間は限られているし、自分の性格もなかなか変えられないものです。
しかし、それも今では薬の提案を自分からするように変化しましたが・・・やはり気を使うのはどうしようもないですね。
話を戻すと、薬の治療以外で、私はこちらの訴えを聞いてもらい自分の心を整理したい欲求があった。正直、それは医者の仕事ではないと今なら理解できる。
⇒こちらもどうぞ【関連記事】うつ病を治療することと心を癒すことは別物である
あるとき、「医者に癒しを求める患者さんが多くてびっくりする」という精神科医のコメントを見て、衝撃を受けた。
癒しを求められても困るのが医者なのかぁ、とその時の私は残念に思った。
だって、患者は医者に救いを求めているのだから。
患者はそう、癒されたいのだ。
しかし、精神科医には患者は癒せないのだ。医者にできるのは「治療」することだけなのだ。
処方と、経験からのアドバイスを与えることしか医者にはできない。
私が思うに、本当は薬だけで身体の活動が良くなるのではなく、心も多くの影響をしているのだだと思う。それが効き具合や副作用に影響してくる。そこを自分一人で整えていくのは、長い長い戦いだと身をもって知っている。
精神科の薬はとても効く。
でも、最善の治療とは身体と精神の両方を癒すものであるべきだ。
それを証明するかのように、今では臨床心理士を置く病院も増えてきている。
私が5年に渡りお世話になった先生は、薬をあまり出さない医者で、患者の意思をとくに尊重する人であった。彼に会って私はパニック障害を認めてもらい安堵して泣いた。薬も必要以上には出さず、見守ってくださった。とても感謝している。
ただひとつ、今思えば、私が嫌がっても薬を飲むように説得してほしかった。
私は最初拒薬をしたために、無駄に一年苦しんでしまった。それは彼のせいではないが、私は薬を飲むことを納得させるのも医者の仕事であってほしいと今は思う。
そして、「完治とは何だろう?」と模索する慢性的時期に入ったときに、私は自身の精神のトラウマと向き合うことに決めた。
原因に興味がないという医者と、トラウマや原因を突き止め人生を癒したい私は、もう手を取り合う相手が違うような気がした。そしてそれが私の本当の疾患と向き合う再出発点となった。
私はパニック障害そのものではなく、パニック障害を誘発する自分の中の傷やトラウマ、考え方、そしてあまりにも長い期間放置してめちゃくちゃになった睡眠障害と戦うことを始めた。
治療には受け身でなく、自主的であるほうがいい
これは精神科医には嫌われるかもしれないが、私は医者のいうことをただ信じて、出された薬を理解もなしに漫然と飲むことはおすすめしない。もちろん、必要があるから処方されているのだから飲むべきだが、その前にその薬について自分で知識を持つことが大事です。
それはどんな作用があるのか。
なんの症状を抑えるために出されたのか。
ここを理解していないと、自分で効いているかいないかを実感できない。
実感できないと、「この薬はダメだ。合わない。」と医者に言うことになる。
でも知識があれば、「この薬はこういう症状は改善されましたが、ここがまだ改善されません。薬を増やすべきですか、それとも別に何か当てはまる薬はありますか?」と適格な症状の報告と、次の提案を即せる。
そして、私が2番目の医師で、そのように取り組んでいった結果、2つ目の抗精神病薬で症状が改善した。
これはエビリファイという薬だったが、それまで飲んでいたサインバルタの、パキッとしてある種攻撃的になるほど活発になってしまう強さから、マイルドな安定した精神状態になった。
それまで、私はサインバルタで精神状態は良好だと思っていたのだが、なぜだか仕事でイライラがひどく、ときに人に激昂してしまい強い口調で反論することがあった。私の本来の性格にはない兆候だった。
エビリファイの服用が安定した頃、いままでになく平穏で、かつ急ぐことがなくなった。
それは薬を変えてやっとわかったことだが、サインバルタはパニック発作に非常に効いたが、焦燥感(焦り)、イライラ、時々下がもつれる、便秘が続くなどの弱い副作用がずっとあったのだ。
これは前の医師にかかっていたままでは、けっして試さなかった薬だっただろうし、同じく睡眠治療を始めなければ試さなかっただろう。
医者を変えて、薬に対する姿勢が精神科医によって違うこともわかったし、先生に精神的な悩みを改善してもらう期待は手放すことができた。
つまり、目的を持って医者を変えることは、新たな可能性を見つけるきっかけになる。
精神科医は一人一人違う
先に述べたように、友人や恋人に相性があるように、医者との相性も間違いなくある。
ただ、「この人は好きだ」というのに惑わされないようにしてほしい。それはあなたの主観から来る感情主体の気持ちかもしれないからです。
私が思う良い先生というのは、結果的に症状が改善する、薬を減らす結果につながる結果を出せることです。人生には結果よりも過程やそこで得たものが重要ですが、治療には結果が伴わなければならないと思います。
なぜなら、向精神薬というキツイ薬を飲んでいるからです。
脳に作用する重要な薬を飲む以上、結果は重要なのです。
また、こちらの症状の訴えを聞き流したり否定する医者ではなく、それについて考えて検討してくれる医者であることも重要です。
今の精神科の先生たちは、「薬を極力少なくしたい医者」と「精力的に薬を使い、全力で患者を楽にさせてあげようとする医者」に分かれると思います。私は前者の医師に縁があったのですが、2つ目の病院を選ぶ際に、後者の薬を精力的に使う医者に行こうかとも考えました。
しかし、結局、薬を精力的に使う病院を選ばなかったのは、たくさんの薬を一気に出されると、自分でどれがよく効いているのかわからないと思ったからです。
(これは、急性期の患者さんには当てはまりません。急性期には、薬を多く使っても症状を早く抑えることが重要ですから)
慢性期である私は、できるだけ薬を少なく、かつ、ゆくゆく止めることも考えた上で一つずつ薬をトライする道を選びました。
現在は今までで一番うまくいっていると言えます。
しかし、まだ課題は残っており、どうするかを模索中でもあります。
さて、精神科医との付き合い方のまとめです。
・薬の知識を得る
・自主的に治療に参加する意識を持つ
・精神科医とカウンセラーは違う(心の問題をなぐさめてくれることを期待してはいけない)
・精神科医は一人ひとり違う
ドクターショッピングと、医者を選ぶことは違います。
やみくもに探すのではなく、目的を定めて(治療方針や治療内容を具体的に考える)、それに特化したクリニックを選ぶ(クリニックのサイトと医師のプロフィールを見ると、何を一番得意とするのかが、だいたいわかります)ことです。
そして、最後に。
私は今もまだ模索中だと言いましたが、今から1年ですべての症状が改善しない場合は、次にどういった薬や治療を試すのか、違う病院へ行くのかをある程度考えています。
いつか、薬がゼロの自分に戻ると信じて・・・。
あなたにもベストな治療が見つかりますように。
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