2020/06/24

親の愛情を信じられず、死にたいと思う自分を変えていけるか

親に愛されない

親の愛情なんて感じられない、毎日苦しい、生きたくない。そんなふうに過ごしている人がいるとすれば、それは昔の私のように絶望に彩られた毎日なのだろう。

その頃の私はただ暗く、常にぼーっとして、目は死んでいた。中学校の卒業アルバムなんて見れたものじゃない。まるで亡霊のようだ。だって、何も期待することもなく、楽しみもなかった。

でも、いつからそうなったのか、どうしてそうなったのかは思い出せない。死にたいと思っていた頃、私はその理由を考えもしなかったけれど、大人になって理由を考えたとき、「暗いほうに、つらいほうに引きずられるのは、もともとの性質がある」と思った。

なぜなら、同じ境遇で育った兄弟に違いがあり、私は虐待を受けたわけでもなかったから。

私は漠然と「自分は価値がない」「自分はダメな人間だ」といつ頃からか思っていた。そこに理由はない。物心もつかないころの親の養育に問題があったと言う人がいるかもしれないけれど、そんなことは覚えていないのだから、わかりようもない。

私は大人になっても人が自分を愛してくれるなどとは信じていない。けれど悲観もしていない。

おそらくゴールは相手を信じられることではなく、自分を信じられるようになることだ。それは自分の価値を信じるというよりは、可能性を信じられること。

そして、周りの反応や批判に揺らがないようになれることだと私は思う。

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愛情は渡す側の意思よりも受け取る側の認知が重要

たとえば、私の友人には片親が多いけれど、愛情や家族に憧れや執着を持つ人と、そうでない人間がいる。両親がそろっていても、私のように親を恨む人もいれば、愛している人もいる。

子どもの愛情の欠落は、環境のせいではなく、感情のせいだと思ったのは大人になってから。感情とはもちろん本人の感情である。大人の感情は関係がない。。

ただ、愛情に関する欠落や飢餓感は、「親に愛情をもらってきた」と自分が感じてこられたかどうかで生まれる。つまり愛情の認知は自己に大きく影響を与えるのだ。

また、両親に愛されなくても、反骨精神や見返してやるという強い意思で自分を変えていったり、他人と関りあいになる中で友人に恵まれたり、他に優しくしてくれる人がいれば、愛情の欠落は他の何かで少しずつ埋められていく。

もし、あなたが今、愛されていないことに苦しんでいても、先はわからない。愛情は一過性のものではなく、継続的に訪れる機会の中にひそんでいる。

それを手にできるかどうかは、求める心と「自分を立て直したい」「変わりたい」という強い願いだ。

あなたは変わりたいと思いますか? 私はどうしようもなく変わりたかった。

人を信じられるようになるには、他人の愛情が必要

たとえば、親からの愛情を信じられない人が成長していくとき、大人になったときに誰かを信じられるようになるためには、優しくしてくれたり好きになってくれる人が不可欠だと感じる。

人は一人では愛情を補填できない。

唯一の例外は聖職に身を置く人々かもしれない。彼らは神に愛され、愛されていると信じられるから。しかし、日本では宗教を持っている人は少ないので、これは例外になるわけだけれど。

たとえば仲良くなる友人ができると、許されているように感じられる。愛されてるというのとは少し違うかもしれないが、それでも愛情の一種には違いない。

さらに一番に愛情を補填できるのは恋人という存在。私は誰かが自分を好きになってくれるというのは奇跡なのだと思っている。そんなことがあるのかと当時はびっくりして、受け入れれなかったくらいだ。

でも受け入れてしまえば、自分が必要とされ愛されることに溺れた。私の自信のひとかけらは、かつてそうして愛された記憶である。

そんなふうに愛される機会に恵まれたのは、私が人と関わろうと努力したからに他ならない。外に出て人に会い、人が苦手なのを克服して、話をたくさんして、必死に人と関わろうとしていたら、たくさんの良くしてくれる人に出会えた。

愛情を信じられるようになるには、人と関わるという試練を越えなければいけないのだと思う。

愛情に飢えていた私の境遇と心理状態

私の両親は健在で、立派な人間です。一代で自営業をしている父、それを支える母も資格を取って事務的な補佐をしながら主婦として3人の子供を育てた。お金にしっかりしていて、子供3人の養育費はほぼすべて母が出した。

そんな母からすれば私は、ひどく不器用で、なにがしかの問題があった。

別の記事で書いていますが、私は子供の頃に夢遊病を経験している。そして重度の睡眠障害を持っていた。毎日寝ると悪夢を見、何度も目覚めては兄弟か親の布団にもぐり込む。

もし、両親に足りないところがあったとするならば、私の話を聞いてくれたことは一度としてなかったこと。

「どうしたの?」「怖い夢を見たの?」「何かあった?」「悩んでいることがあるの?」「話してごらん」

そうした言葉をかけられたことはない。理由を聞かれたこともない。親は立派な人間だったけれど、私にとって理想的な両親ではなかった。私の人格や問題を一緒に見つめようとはしてくれなかったから。

そうして中学生の頃、私は愛されない孤独感と絶望感から死を切望していた。でも飛び降りる勇気も自分を刺す勇気もなく、だから親の死を願っていた。死んでくれ、と。そうしたら、楽になれると。

今ならわかるけれど、その頃私はうつ病を発症していたように思う。自殺念慮と常にふさぎこみ、言葉を発しない、笑うこともない。夜は自分の髪を引きちぎり、お風呂で一人で泣いていた。夜中には恐怖と孤独で布団の中で泣き、日常はただ暗い闇にいるようだった。

人生などなかった。ただ、詰まるような息の出来ない一日を繰り返し、夜には意味もなく泣くだけ。解決方法さえ見いだせない幼い私には、親を憎むしか方法がなかったのだ。

諦めないで人と関わる努力をしてほしい

これを読んでも、自分には他人から好きになってもらえたり、愛されたりすることなんてないと思う人がいるかもしれない。そんなふうに誰もが変われるわけじゃないと思う人がいるかもしれない。

たしかに、ずっと闇の中にいつづける人も、人を信じられないまま年老いていく人もいるだろう。でも、そういう人は外に出て行かなかった。人と関わろうとしなかったんじゃないかと思う。

手を伸ばさなければ与えられないから、どうか助けを求めてほしい。手を伸ばして求めてみてほしい。

私は高校の頃にも孤独だった。少数の友人はいたけど、心までは開けなかった。私が自由になれたのは、学校で出会う以外の友人を外で得たからで、それは私が色んな人と関わろうと努力したからだった。

話すことが苦手なのを克服するために人と会った。大勢が苦手なのに、グループの飲み会に参加し続けた。男が異世界の人のように思えるのを変えたくて、ゆきずりで処女を捨てた。そうしなければ変われないと思ったから。

これを他人にもやれとはもちろん言わないけれど、外に出て人と関わらなければ私は自分が誰かと友人になれるんだとか、楽しく過ごせるんだとか、異性に好きになってもらえるんだとかを知らずに大人になっただろうと思うから。

孤独や辛さを抱える人には、どうか誰かと出会う機会を得る努力をしてほしい。

重要なのは相手から愛されることではない。

私が長い間、自分を変えようとあがいてきて辿り着いた答えは、愛されることを信じようと思っても、最後まで信じ切るなんて難しいこと。

どうやっても、自分の根本の性格は深く根付いていて取り除くことは困難だ。できるのは少し変容させることくらい。

だから、愛されること、相手を信じることが重要なのではない。

自分はもらってる、手にしている、これから手にできる。そういう自分の可能性を知れること、自分は一人の人間で親の付属物でないと気付くこと。

最終のゴールは愛されることでも親を信じられることでもない。

他人の愛情を気にせずに、生きられることだ。

それでも自分を誇れるようになることだ。

今でも、恋人ができると、自己犠牲や遠慮や「自分なんか」という卑下する意識が頭をもたげることがある。それでも、「この人と別れても私は私のままで、また誰かと出会うこともあるはずだ、きっとあるはずだ。」と思えるようになった。

孤独に膝を抱えてうずくまる日も、布団の中で寂しくて泣く日も今でもあるけど、次の日になったら「まあ、なるようになる」と思えるなら、まだ歩いていけると思う。

親には親の人生があった。それで手にできないものがあり、それを子供に求める人もいれば、子供に当たり散らす人もいる。子供との関係がうまく築けない不器用な親もいる。親も不完全なのだ。

だから、親を愛せなくても仕方がない。大人になれば、愛せなくても情を持つことができるようになったりする。親が不完全で未熟であることに気付くようになる。

親が愛してくれなくても、血がつながっていない他人が自分を愛してくれることもある。だから、どうかあきらめないでほしい。

誰かと一緒にいられ続けるには、自分が自分であることが必要で、そんな自分を作っていくのが、成長という人生の課題なのだと思うから、勉強するのと同じように自分の研究者となって、ツライことも乗り越えていってほしい。

私にできることなら、あなたにもできる。私は本当に不器用で何も持たない人間だったのだから。


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