南カレンです!
今回は、ふと思ったことがあるので、恋愛についての記事です。
しかも不倫というカテゴリ。
不倫という言葉には違和感を感じてしまいます。
論理に反するっていうのは、たしかに法律上及び、家庭というコミュニティを壊す要素がある上ではもちろん正しい。
しかし、男と女の関係にある衝動、熱情、欲望は、論理とは程遠い。
知的なのではなく、情動なのです。
そこには、人間の欲望の本質を感じてしまいます。
どのような形でも、他人が評価することが難しい内容ですよね。
唯一、責める権利があるとすれば、それは裏切られた配偶者の方です。
彼女(または彼)には、相手を責める権利はある。
ボロクソに罵り、慰謝料を請求することも正当な権利。
だって、生活を人生を壊されたのですから。
つまり私の価値観としては、誰かが本人の意思とは関係なしに傷つくリスクが高いため、基本的に不倫なるものには反対です。
かつ、相手の家庭やパートナーに傷を負わせるのであるから(発覚してはいなくとも)、それ相応の責任を取る(痛手を負う)覚悟を持て、と。
さて、そんな私にある女性から配偶者がいる男性との恋愛についての相談があった。
彼女の恋愛においてはここでは書きませんが、私はいくつか思ったことがあって、それは人生にも通ずる部分であるので、ここでは私が考える精神を強くする考え方を書いてみます。
※ここでは、不倫をした側の彼女の傷を見て思ったことになります。
スポンサーリンク
目次
配偶者がいる人との恋愛の寂しさ
本人が幸せである間は表面的に問題は生じていない。
つらくなってからが、問題だ。
そのときのつらさは、普通の恋愛よりもきっと深いだろう。
単純に配偶者との恋愛において、主に女性が感じる寂しさを挙げてみる。
・クリスマス、誕生日などのイベント時に孤独を感じる
・その人との結婚(将来)を夢見れない
・メールや電話をするのに気を使う
・楽しそうな家族やカップルを見ると胸が痛む
・相手といるときに、相手が家族といるときはどんな表情をするのかなどと想像する
こういった寂しさ、相手への思いやりや優しさは、いつの間にか心の無意識の部分にたまっていく。
それを気づいていながら、強く立てる人ならいい。
しかし、若い人などはまだそういう強さは身に着けていないだろうと思う。
私の相談者は40歳になる前の女性だった。
この年齢の女性であれば、表には出さなくとも家庭への憧れや羨望はあったと思う。
彼女は相手の配偶者に関係がばれて、慰謝料の支払いを要求されているところであった。
冷たいとは思うが、私の感想は「そりゃ仕方ないね。相手の奥さんのほうがあなたよりもツライし、人生が壊れる危機だわ。悪いのはあなたと彼」というものだ。
言い訳などしても無駄だ。
しかし、傷ついている、自分の人生について悩む部分だけは、人間の弱さだから共感する部分はあった。
彼女は相当に憔悴していた。
それを見て、私はやっぱり相手がいる人との恋愛は厳しいと思った。
私が長い話の中で彼女に語ったのは、以下のようなものだった。
※私はそういう立場になったことも配偶者と付き合ったこともないので、話に説得力があるかは不明です。ただ、傷ついていることをどう癒していくかということがこの記事の焦点であり、不倫について擁護することも非難することもしない立場で書いています。
傷ついたときに最初にやること
まずは、当然ながら泣くことだ。
気のすむまで、いつでも、毎日泣くことだ。
涙が枯れたらやっと眠れる。眠れば、傷は少し癒える。昨日は1日過去になるからだ。それを繰り返すと、時間が流れる。季節は廻り、時間が自分を癒してくれる。
その期間、自分の感情をじっくりと味わうほうがいい。それが自分を知ることになり、自分の性質とそれが起きた原因を考える冷静さを呼び起こす。
考えが整理されるまでのこの過程は、とても重要な癒しの過程だと思う。
覚悟を持つということ
覚悟を持てと友人に言ったことがある。
責任を持てと友人に言ったことがある。
しかし、覚悟を持っても不安は消えることがなく、責任を持ってもすべてを叶えることはできない。
私が思う覚悟を持つということは、自分で選択をするということ。
自分が選択した、自分が決めたことなら、人は受け止められる。
不倫がばれたのは誰かのせいなのだろうか。あなたは被害者なのだろうか。
不倫をされたのは相手が裏切ったからだとしても、あなたは被害者のままでいたいのだろうか。
被害者だと思うこと、自分の力の及ばないところで誰かに何かをされたと思うことは受け身である。受け身だと納得なんてできやしない。
自分が誰かを裏切る選択をしてきた結果、こうなったと考える必要がある。
自分に何かが足りなかったから浮気されたのなら、自分は何を変える必要があるのだろうかと考える必要がある。
自分を責めることを選ぶのではなく、次にもう同じ思いをしないように、今できる選択をするのだ。
そして、自分の主体性から出来事を考え、自分なりの答えを出せるなら、もうその人は被害者でなくなる。
自分を被害者だと思ってはいけない。
自分で自分の立場を決める。それが覚悟を持つということ。
自分に責任を持つということだ。
自分なりの理由を持つ必要性
いつでも自分なりの理由を持つほうがいい。
誰かに何かをされたと思うことで、人は自分が誰かに自分を明け渡してしまっていることに気付かない。
選択をすべて相手任せにすることは自分を失う。
浮気や不倫を相手にされた場合、それをただ受け止めるだけでは、あなたはパワーを失ってしまうだけになる。
たとえ傷つけられても自分の根本は侵されないようにしなければ。
自分の根本を揺らがせないでいることが必要だ。自分で主体性を持って、傷つけられた出来事になんらかの理由をつけれるのなら、そこから次の行動がとれる。それがポジティブな行動につながる最初のステップだ。
いつでも自分なりにものごとに理由をつけること、それができれば次に進めることを覚えておいてほしい。
可能性を見る
5%でも可能性のほうを見ることが自分を強くしてくれる。
たとえば、うまくいく確率が、望む方向に進む可能性が1%だったとしよう。しかし、1%に最初から目を向けなければ1%はない。
うまくいくようにするためには、そちらの方向があることにまず気づき、そして歩き出すことが必要である。
それはポジティブになることと同じことだ。
マイナスのほうを見ると、「方法」は思いつかないだろう。
方法はポジティブなものだ、行動することだ。
幸せではないと思うことと自分の人生を混同してはいけない
あながもし、今幸せではないと思うとしても、それは恋愛に限った話である。
それは人生の一部であり、あなたのすべてを定義しているわけではない。
あなたが不幸なときでも、大事な友達といて幸せになる瞬間はある、家族といてなごむことがある。優しくされて嬉しく思うことはある。
幸せは期待や願いを満たすことではなく、心の状態のことだ。
心は変動するから、また幸せな時間も別にやってくる。
すべてがダメだと、不幸だと思いこまないほうがいい。
恋が、異性関係がうまくいっていないと思うのは心の状態が不幸なのだ。
あなたが不幸なのではないと気付くべきだ。
「じゃあ、このつらさをどうすればいいの?」
そのつらさは、真剣に癒すべきだ。
そのために、自分が幸せじゃない人間だと思い込むのはやめるべきなのだ。
あなたが恋に不幸でもあなたの他の世界(友達、家族、仕事)は普通に回る。そこであなたはつらさを隠して生活するだろう。
しかし、その間のあなたは、もしつらいことさえ意識に上らせなければ、不幸ではない。
自分の意識を分けることで、日々を乗り切ることを学ぶべきなのだ。
自分を失わないこと
人生を乗り切るために必要なのは、強さである。
それは気が強いとか、泣いたり甘えたりしないとか、そういうことではない。
自分の精神で立っていられる、次の選択をできる、誰かに振り回されないということである。
ちょっとした葛藤や、ジレンマ、相手に巻き込まれることは何度もあるけれど、いつでも自分自身に戻れることが強さだ。
つらいことがあっても、それ以外の場面で笑っていられるのが強さだ。
それは混同をしないことであり、自分の中心を常に自分の側に持っておくこと。
そうすれば、つらいことも時間さえあれば自分のものに消化できるのだ。
相談者の彼女は1ヶ月後、「あれからこうなってね・・・」とまだ少し悲しそうではあったが、少しの笑顔が見えた。
自分と向き合っているのだと思った。
そうして日々が過ぎていくことを自分に許し、自分を毎日受け止めること。
それが人生にとって、重要なことだとつくづく思った出来事だった。
スポンサーリンク