2020/06/01

嫌われるのが怖い。弱さを自覚し、自分を尊重することとは

働きたいのに働けない

ある日、夢をみた。

それは職場の同僚に「あなたのこと理解できないわ・・・」と冷たい目で見られるというものだった。目覚めて私はこう思った。そこまで悩むことだったわけではないのに・・・。自分の臆病さを私はいつも夢に見る。

あなたは人に嫌われるのが怖いでしょうか。

私はとても怖いです。それは自分に価値がないと思わされることが怖いからです。軽蔑される、理解できないという目で見られる、見下される・・・などから逃げるために、私は殊勝な態度や、丁寧さ、礼儀正しさを仕事の場では使ってきた。それが本当の自分ではない違和感を感じながら。

実は私はプライベートでは人のことをあまり気にせず、横着で、面倒くさがりで、メールやSNSは淡泊で愛想があるほうでもない。誘われても気が向かなければ行かないし、返事も遅い。自由気ままな人間なのです。

それは、2つの人格があるというわけではなく、人付き合いが精神的に大変なので、プライベートでは極力人に気を使ったりする場面や行動を避けているんですが、仕事ではそうもいかない。なので、自分を作っているわけです。

しかし、精神的にこれがつらい。本来の自分とのギャップに自分で疲れることもよくあります。

人から嫌われたくないがために、無理をしてしまうこと。これには解決策はあるのでしょうか。答えは私にもまだつかめていないけれど、今回はどういった行動に出てしまうのか、そのとき、どうやって心に折り合いをつけているのか、書いてみたいと思います。

NOと言えない

日本人はNOと言えないといわれますが、私は社会的にはこのタイプです。プライベートではNOと言えるようになったので、その限りではありませんが、社会的立場がある場所では基本的にNOと言えないというか、言葉を選んでNOを伝えても、相手に押されたり、困ったりされると結局YESとなってしまいます。

このことで自分が意思の弱い人間だと考えたこともありますが、私の中で仕事に関わることなら「私で役に立つなら」という思いがあります。それは、役に立って人に好かれたい、評価されたいという願望からです。

これは優しさとは違います。誰かのためにやっていることではないからです。すべて自分のため。同僚から仕事を替わってほしいと言われても、同僚のためじゃない。自分がありがたがられるため。私の全ての社会的行動は評価されるため好意を持ってもらう自分のためなのです。

はたして、これはいいことなのか。

それでも私は嫌でやっているのでなければ、YESでもいいと思っています。

嫌なことでも我慢してしまう

たとえば、頼まれて嫌なこと、同僚の行動が気になるところ、会社の方針で変えてほしいところ、そういった状況に見舞われたとき、あなたはどうしますか。

私は自分が責任者をしていた前職時代、自分が一番上なので、こういった問題には自分から対処していました。何かを変える権限、下に指導する権限、そういったものを行使することが当然と思っていました。それは傲慢なのではなく、その力を使って何かを変えることが、権限を与えられた上の仕事だと思っていたからです。

しかし、自分が下の立場になるとどうでしょう。

偉そうなことは言えません。偉そうに言うなら、自分が権限を持って行動することです。権限のない私に言えることやできることは限られます。

嫌なことがあったとき、私は我慢します。社会人なら当たり前だと言われるかもしれませんが、私も基本的にはそうです。嫌なことくらい我慢しろと。でも、どうしてもいやなこと、どうしてもつらいことは我慢しなくていいと思っています。

今回は我慢できる範囲のことです。しかしストレスは貯まる。でもここで私は期待をしてしまうんです。「時間がたてば、状況が変わるんじゃないか」と。

何か努力をすれば、改善するんではないかと。

しかし、今までそうやってきて、改善したことはありませんでした。

そのことがわかっていながら、私は我慢します。それが嫌なのに、変えることができない。これは私の弱さです。結局は、我慢できないところまでいってから、ギブアップして転職するか、上司に訴えることになります。

失望されたくない

私は母に失望されていました。おそらく、たぶん、母はそう思っていなかったのかもしれません。ですが、私はそう感じて子供時代を過ごしました。

ですから、社会的に失望されることが耐えられません。

仕事の場でそれを痛感するのは、できることはなんでもやろうと、真剣にやろうと、真面目になりすぎてしまうときです。

精神面で弱い私は、真面目にやりすぎるあまり、追い詰めれられることが多くあります。多くの仕事を引き受けてしまい残業の毎日になったり、誰かに仕事を回しても、それをフォローしたり事後確認したり、やりすぎてしまって相手の心境にまで精神を使ってしまう。

さらに、人の仕事の精神面を推し量って、「この人はこういうふうに仕事をするのが好きだから、私はこう動こう」だとか、「彼はこれが嫌だからフォローしよう」と周りのことを頻繁に考えます。気を回し過ぎてしまうのです。

相手はそんなこと望んでないかもしれないのに。

それでも私はこういったことをやめれません。

人の顔色を伺いすぎる

上で書いたように、人の感情を気にしすぎて疲れるのが日常茶飯事です。気にしているというよりは空気を吸うのと同じように、私にとっては人の感情を伺うことは自然なことです。子供の頃からやってきたことですから。

機嫌が悪い人には近づかない、話しかけるときは状況を見て、相手の意思を尊重する、相手が嫌なら自分が引く、仕事は人にゆずる、仕事を替わってと言われたら受ける、先にお伺いをたてる、自分から先に謝る・・・挙げればキリがないほどです。

こういったことは疲れるので、私の仕事終わりはすさまじい疲労感です。誰でも疲れるものだと思いますが、私の場合は持病のパニック障害を少し思い出すというか、呼吸が浅く、肩はこわばり、動悸がする、という軽い症状が出ます。

私が家に帰ってまずすることは、精神安定剤を服用し、座って1時間ほど好きに過ごすことです。1時間くらいたってようやく呼吸が落ち着き、動悸もなくなります。

軽い病気のようですよね。自分が一度過去に精神を壊したことを自覚させられる瞬間です。

そうまでしても、私は人を尊重してしまう。

それは、人に嫌われたくないという気持ちから来ていると思うのです。

弱さを自覚し、自分を尊重することを覚える

私がいつも考えることは、嫌なことがあるたび、疲れすぎてしまったとき、なぜ自分はそうなるのか、その原因の根本にある弱さを見つめることです。

そうすることで、自分を納得させるというか、自分を許す。

弱さを自覚し、そんな自分を褒めてあげる。泣きたかったら、泣く。

そして、できれば次はこうしようと考えることにしています。

自分を少し尊重できることはなにか。

勤務の変更を頼まれても、体調が本調子じゃなければ断る。納得できない仕事をやれと言われたら「納得できない」と言ってみる、自分のやりたい仕事は自分から取っていく、自分が引くのではなく、意見して願望を伝えてみる。

弱さに必要なのは、本当は強さではなくて、自分を守ってあげようとする、自分を尊重してあげたいっていう気持ちなのかもしれません。

過去、こういった努力をしてみた結果、良い関係を築けた同僚が幾人かいました。会社と良好な関係を築けた時期がありました。それでも、それは一生の縁ではなく、そのうち縁は切れてしまいました。おそらく一生続く縁というのは稀なものなのです。血縁以外は、一人か二人なのです。

だから、努力すべきなのは我慢することではなく、自分を尊重することなのです。まだ働く理由があるとき、辞めたくないときは努力すべきです。

でも、メリットが何も見いだせないときは、思い切って転職すべきときです。

嫌われても、最後に自分を守るボーダーラインは持っていてください。

離れれば、嫌われてももう気にならないのですから。

今の私はまだ今の仕事にいる理由があります。

自分に折り合いをつけながら、どうやって自分を尊重できるか考えながら働いています。しかし、数年後にはまた旅立つでしょう。次の場所に、自分をもっと尊重できる働き方を目指して。

嫌わるのを怖れることは悪いことではない。でも自分を尊重することを覚えること。このことは、私の今までとこれからの課題でありつづけるでしょう。


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