2018/01/08
最終更新日:2018/04/20

年下の上司との付き合い方


年下の上司を持つ葛藤・・・ある日突然、異動やヘッドハンティングで年下の上司が出来たとき、または新しい職場で上司が年下だった時、そんなときあなたはどう自分と向き合いますか?

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年下の上司に動揺してしまう日本社会の基礎構造

仕事をする上では上司の指示には基本従わなければなりません。 これは仕事の構図の問題であり、責任の範囲の問題であり、普遍的な事実です。 ただ、年下の上司を初めて持ったとき、これは誰しもが少なからず動揺します。

やはり一番の要因は、日本社会は年功序列の社会構造がいまだ基本にあるからでしょうね。 私たちは同じ年齢の子供たちと育ち、学校で学び、遊んできました。 年齢で階層が設定された社会で育ってきたので、海外のように年齢を気にしない社会ではないですよね。 ですので、社会で年下の上司を持つのは違和感があって当然と言えます。

しかし、今は多様化の時代であらゆる働き方が存在しています。 新しい働き方のフィールドでは、年齢はもはや関係ありません。 そこでの年齢の違う人々との付き合い方、自分を見せるスキル、これは今後確実に必要になっていくスキルだと私は思います。

年下の上司に動揺してしまう気持ちを認識し、視点を変換する

まずは、自分の動揺を感じ取りましょう。 それはささいな違和感やムズムズするような感覚です。素直に自分の中に入ってこず、意識の何かが反発したがっています。それは自尊心に見えるエゴの部分です。 「自分は上なのだ!」 こう心は叫びたいのです。
くだらないですか? でも、私は何度もこう思っている自分に気付いたことがあります。 下だとは思いたくない、つまり自分に価値があると思いたいという気持ちです。

でも、大人としての冷静さがあれば、問題なくこう思うことでしょう。
「仕事なんだから、しょうがないよな。うまく付き合っていこう。」
相手が年長を敬う気質の持ち主なら、基本的にうまくやっていけるはずです。 しかし、胸の中にしまい込んだはずの気持ちはある時に表面化します。

たとえば、指示された内容と自分の意見が合わないときです。
「私のほうが年長で社会経験は豊富だから、私の考えのほうが正しいのではないか?」
こういう感情はむしろ自然です。あなたのほうが社会経験が長く、磨き上げられたスキルや考え方があります。努力して答えを積み重ねてきた過去もあるでしょう。
「しかし、彼も大人でこの業界での経験もある。彼の意見も一理ある、従おう」
正常な大人ならこう自分を諫めます。答えは一つではないことも知っているからですね。

そして、何年もこの感情のルーティンを繰り返し続け、いつしかそれに慣れます。 そして、年月を経てここまでの境地に達します。
「彼がこれから成長するために、彼は自信で考え、行動し、成功も失敗も経験する必要がある。
仲間はそれに協力し、見守るべきだ」
これこそ立派な理解ある社会人と言えます。でも、違う視点で見れば「上から目線」「傲慢」とも言われる考え方なのかもしれません。そう、困ったことに、上記で書いた考え方では私のストレスは全然なくなりませんでした。

本当の意味で視点を変えるには?

私がトライしたことがあるマインド転換の方法で「私は年上ではない」と信じきり、年下としての自分を演じることがあります。笑えますよね?でも、そのくらいストレスを感じていて「どうにかしたい!」と思っていたんですね。

ちなみに、これは表面的には成功しました。年上としてのプライドなど無いと信じ切ることにしたので、気分的にも楽でしたし、年下の上司もやりやすそうでした。

問題はここからでした。
仕事は順調に進んでいたにもかかわらず、何かがうまくいかなくなってきました。なぜだろうと考えた結果、ある時ハッと気づきました。 「年下かのように」「若い後輩であるかのように」接していたことがおかしな問題を作りだしていました。 結局、周りに違和感を与えていたんですね。

実際に社会で長く働いていれば仕事の覚え方、取り組み方、フォローや気配り、落ち着き・・・、明らかに「若い後輩」ではありません。それを無理に「後輩」ぶろうとしていたことが違和感を生じさせていたのだと気付いたのです。周りからすれば、扱いづらかったに違いありません。

気付けば、誰も私に意見することもなく、指導することもなく、何か思うことがあれば気づかないところで言われるという「お局さん」状態・・・これでは仕事で必要なチームワークを作れません。これは私の間違った「視点の作り方」でした。

敬意を払ったつもりが、余計な気回しだったということです。
仕事を教えてもらう努力はしても、「後輩」になる努力なんていらなかったのです。

本当の視点の転換とは?

このことから私が学んだことは、立派な社会人とは「今までの社会人としてのスキルと経験を惜しみなく使ってくれる大人」かなと思えました。年下の上司の「頼りになる先輩」「頼りになる右腕」になるべきなのです。 そう、これは若いときに私が思っていた「上司の右腕になりたい」と全く同じことだと気付きました。年齢や経歴に囚われていたのは実は自分自身だったんだなぁと、自覚できた瞬間でした。

今の自分でできることを「提供する」。指示に「従う」のではなく「提供」するのです。
上でも下でもなく「一人の大人」としてできることを差し出すだけでいいのですね。 業界の経験など関係なかったのです。 「そのままの自分」がスキルであり、経歴なのです。

転職だけでなく、立場が変わったり、部署が異動になったり、仕事をするなかでいろんなことが起きますよね。その中で感じる色んな感情は、本当はいろんな不安から来ているのかもしれません。
「うまくやれないかもしれない」「この年齢でまた一から始めるのは・・・」
「経験が足りないのかもしれない」「キャリアがなくなるのが怖い」「生活が不安だ」

それでも、社会での出来事や経験はあなたの中に積み重ねられています。それは私にとっては「自分への信頼」でした。「ここまで、やってこれたんだから。」
いつでも選択肢はあり、考え方を変えるためのステップは用意されています。

年下の上司。
それは過去のあなたであり、未来のあなたであるかもしれません。
そして、「彼」も「彼女」も、この無限に選択がある社会をあてもなく泳ぐ「同士」なのです。
だから、必要なのは「自分の力と経験を尊重し」、「相手にできることをする」「仲間の力になれる自分」を信じること。そう私は思っています。


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