新しい仕事に勤務した初日、家に帰ると食欲が全くない。どうにか口に入れて、薬を飲んで眠る。二日目、家に帰ると体中が寒さで凍えたのか、凝り固まって痛く、それにも増して精神の高ぶりが半端ない。精神疾患を持つ人にはわかるかもしれないが、精神がずっと緊張状態だった場合、それを鎮静化させるのもかなりの時間を要する。食欲は全くない。ないが、今日口にしたのは焼き菓子を少しとコーヒーのみ。どうにか温めるだけのおかゆと総菜を用意し、口に運んだが唐突にめまいと吐き気に襲われ、スプーンが口に入る前に止まった。
後から思えばそれは低血糖の症状だったのかもしれないが、私は過去のパニック障害の症状を思い出していた。死ぬかもしれないという恐怖は感じないが、精神の高ぶりが半端なく、手は震え、座ってても落ち着かない。私はまたもや、「もう働けない」と漠然と思った。それは勤務してたった二日のことであった。
勤務三日目で仕事を休むのはこれで2社目である。私はもう新しい職場で働くことはできないのかもしれない。継続的に勤務している職場があることだけが私の救いである。新しい仕事が決まった段階で勤務を減らしているので、たまにしか出勤していないが、わずかながらの収入でも家賃を払っていくには助かる。
41歳フリーター、精神疾患持ち。私はいつになったら安定を手に入れられるのか。
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社会的信用を守ることと、自分を守ること
社会的信用を守るためには、当たり前のことだが、仕事をやむを得ない理由以外で休んではいけない。入社したてなら当たり前である。最初の段階での印象はのちの評価に大きな影響を与える。私は、2社で3日しか働けなかった。そこから再度出社して信用を深めていけばいいとも思ったが、2社で私が辞めることを決めたのは、「このまま働き続けたら、私は死ぬかもしれない」ということだった。
精神疾患を逃げ道にすることは、弱いことであるかもしれない。しかし、手が震え、食事ができず、眠れないまま勤務したとして、先は見えている気がした。もしくは、何かを変化させればうまくいく可能性もあるが、正直できそうにもなかった。通勤時間は仕事への緊張から周りの世界が一切目に入らず、ただ目的地に向かって重い足を動かすのみ、休憩時間も落ち着かずうろうろして心休まる場所はないかと探す。呼吸は浅く、視野は狭く、言われたことを息をつめてこなす。普通の人は勤務しはじめた最初は同じなのだろうか。私がおかしいのだろうか。
結局のところ、私は逃げた。社会的信用や契約を守ることよりも、自分の精神や身体を守ることを選んだ。それはただ逃げか、正しい選択だったのかは賛否両論があるだろう。たとえ辞めることが私にとって正しくても、どのみち一番に割を食うのは私である。仕事を失い、収入を失い、社会的信用をなくす(それがもう会うこともない人だとしても、私のこころには失敗が刻まれる)。
もちろん、会社にも迷惑をかけている。また採用に関わる費用を捻出しなければならないし、期待して雇っていただけたのに落胆もさせているだろう。でも、だからこそ、ずるずる勤務することもできなかった。たとえば3か月働いて辞めるのと数日で辞めることのどちらも不義理には違いないが、3か月の会社の先輩方の労力を思えば、時間をかけた分だけ辞められたときの落胆が大きいことを私は知っている。
結果的に、辞めずに頑張ればよかったとは私は思わなかったのだからある意味どうしようもない。もう頑張ることは到底無理だったし、どちらにせよ迷惑をかけるのなら早いほうがましだと思った。自業自得でしかないわけで、未来への不安と戦い、収入面での対処、自分はダメなんじゃないかという精神的な落ち込みから立ち直るしかない。
これを読んでいる人が私のように精神に問題や不調を抱えているのなら、あなたにとっての正解はなんだろうか。頑張ることが正しいのか、何かを間違えていると思うのか。ずっと暗いところにいる。そういう人は多いと思う。明るいときもある、でも暗闇に足を囚われ動け出せない時期もある。
精神疾患を抱えながら生きることは、たやすいことではないなと私は思う。誰にも本当の意味で理解されることはなく、どれだけ症状を言葉にしても伝わらない。死ぬかもしれないと私が思うとき、私はたった一人のような気がするのだ。
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