2018/03/15
最終更新日:2018/04/20

社会的成功への近道は、精神的自立の成熟度と選択を信じる強さ


社会的に成功している人は精神的に自立している。
どこかの本の項目にあった一言を思い出し、この記事を書いている。誰しもが「社会的に成功している人と、自分は何が違うのか?」と思ったことがあるのではないだろうか。今回、社会的成功の基盤となる要素(才能とも言える)を気づかされたので紹介したい。

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社会的成功とは

私たちが社会的成功と考えるのは、どういったレベルだろうか?
私の考えでは、企業のオーナーや会社の経営陣や重役に就いている人々は当然この中に入るし、ある組織で幹部レベルで裕福と言われるレベルで給与をもらっている人、また雇用されているのではなく、自らでお金を稼いでいる自営業者や飲食店オーナーなどもこれに入ってしまう。

世間一般で言うと、おそらく自身で経営していることよりも「十分な経済力があること」が判断の基本かもしれない。ある大手質問コーナーでは「学歴や役職ではない、その人が仕事に満足していること」という名言も見受けられて、私は確かにそうだな、と納得してしまった。

人によって基準は違うとして、あなたはどんな種類の「社会的成功」を望むだろうか?

外的な評価に重きを置く社会は、いまや変化し続けている

社会的成功の判断は人によって違うというのは、今の社会状況を反映していると私は思う。
おそらくひと昔前であれば、基本的な社会的レベルの判断はある程度決まっていた。
「いい大学を出ている」「大企業に勤めている」「給料・年収が高い」「公務員である」など、みなさんが聞いたことがあるセリフはいくらでもあるだろう。

しかし、今や社会的成功は多様化しつつある。youtuberやブロガー、小説や漫画も携帯やネットから大反響を生んでデビューする人も多い。昔にはなかった肩書きも増えている。「料理研究家」「書家」「〇〇〇コーディネーター」や「〇〇〇スタイリスト」なども私は興味を引かれてしまう。そう、今はあらゆる働き方、職種があるのだ。まだまだ60代以上には古い考えを持つ人もいるとは言っても、現代は正直に言って何が正解なのかわからない社会だ。

この社会で「成功」を掴むには、精神的強さが必要だ

まず、精神的強さには「自立」が不可欠だと私は思っている。そして精神的に自立しているということは、経済的に自立していることとは違うと私は思っている実家暮らしの人も安心していい。今は多様化の社会で精神的なコミュニティが失われつつあり、安心感を無くしている人が多い。私は家族で住むことには賛成である。経済的な自立で苦しむくらいなら、家族のもとで精神的自立を目指せばいい。

精神的自立とは、他者に自己の生存だけでなく精神的にも依存していないこと。つまり、自分の人生を自分でかじ取りする、何があっても自分で最後まで面倒見るという決意だと思う。それは、たとえば実家で両親と暮らしていても、いつか両親は必ず去り、一人で(または夫婦で)生きていかなければならないことを知っている、ということだ。
私が、これを改めて気づかされたエピソードを紹介したい。

中学生のある男の子が、「お父さんと離婚したい」と告げた母親にこう言った。
「大丈夫だよ。俺が30くらいになったら、母さん50だよね。俺それまでに、すごい金持ちになってるから母さんは50になったらもう働かなくていいよ。俺が面倒見るから、心配しないで。」

私はその話を聞いて、そんな中学生がいるのかと正直びびった。さらには、彼が心配になった。
その年で感情を抑えて親を安心させようとする彼の隠された精神面が心配になったのだ。しかし、それ以降も彼は表面には動揺など出さず、毎日精力的に生きている。

彼はずっと父親と離れて暮らしていたので、ある意味父親がいなくて育った男の子と同じように、精神的自立が早いのかもしれない。そう言ったた彼は、目標としているエリートへの道を迷わず突き進むべく毎日勉強し続け、超難関の進学校にストレートで入学した。不安など見せずに突き進んでいく背中に、大人の彼の姿を見た気がした。

精神的自立の成熟度が、成功への道を最短で歩ませるのかもしれない

前述の中学生の彼は、不安と困惑を忘れるために、目の前のことに集中したのかもしれない。本当は悲しいのに、それを出せなかったのかもしれない。しかし、たとえそうだとしても、目の前のことに意識を向けることが出来る、目標を見失ったり自暴自棄になったりしないという「強さ」がその子にはあると私は思う。不安も悲しみも超えて、自分の選択を信じることに集中できる強さが。

「自分がなんとかする」という覚悟は、人を強くする。(これは男性と、結婚や出産がどうしても視野に入る女性では少し違う感覚なので、万人には当てはまらないかもしれないが。)
また、意思が強いと自分で思ってても変化に弱い人はいる。そういう人は、何か予想外の出来事が起きると「自己」や「目標」、「未来」などが一時的にブレる。そして、人生の遠回りする人も少なくない。私はこのタイプに当てはまり、人生を何度ブレさせ、何度も回り道を繰り返してきた。

この少年に出会って、私は「精神的自立とは、こういうことなのかもしれない。」と思った。両親の面倒を見る、両親の家計を支える、そういう人は間違いなく覚悟を持っている。そう、人はいつか一人で自分で生きていかなければならない。両親は老いを重ね、いつかは先に旅立つのだ。

それに気づくのはできるだけ早いほうがいい。自分以外のものを背負う覚悟があるのなら、まず自分を背負うこともできるからだ。その精神の成熟度が、人生の道のりを目標にスムーズに突き進んでいく道のりを創ってくれるなら、その精神を早く持つに越したことはない。

道のりがブレなければ、まっすぐ進める。遠回りや回り道をなるべくしないですむように、突き進むべき道をしっかり見据えていける人間は強く、それが社会的成功を掴む人に直結する才能であると思った。そして、この才能は生まれ持った環境に左右されるとしても、身に着けてもいける才能だと思う。

私も、あなたも、ふとしたときに、できるなら毎日でも、立ち止まり考えるべき課題かもしれない。「私は目的にブレずに進んでいるだろうか。」「目的を忘れてはいないか。」「不安のために本当の目的を脇に置いてこなかったか。」自分の理想の社会的成功を少しでもその手に掴むために。


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