こんにちは、南カレンです!
今回は睡眠障害で最初に悩む内面的な部分について、書いてみます。
実は以前メッセージをいただいたご質問に対して、あまり良い内容でお返事が書けずに自分の中に残っていたので、今回記事にしてシェアしておきたいと思います。
さて、睡眠障害を持つみなさんは、最初から自分が睡眠障害だと気付いていたのでしょうか?
おそらく、最初は睡眠がうまく取れないとか、社会でうまく生きることができない、というところから始まっているはずです。
そういった最初の頃、心に思うことは「なぜなんだろう・・・」「どうして人のように生活できないのだろう」という、いわれもない落ち込みのようなもの。
人生の課程では、上記のように思うことは多々あります。
睡眠障害の場合は、そう思うポイントが睡眠や時間にまつわることに集中しています。
たとえば、家族や友人、先生などに「なんで起きれないの!」「なんで時間を守れないの?」「なぜ、遅刻をするんだ!」など、指摘され続けた結果、わざとやってるわけではないのに責められる自分が嫌になってきたという経験はないでしょうか?
私の思春期の問題は、ほぼこれでした。
しかし、自分でもなぜできないのか理由がわからないので答えようもありませんでした。
今、私の睡眠問題は改善しているわけではありません。でも、精神的に思いつめることがないのはどういうわけか。
それは、いままで人生で生きて経験してきた中で得た価値観、受け止め方、自分なりの哲学なようなものが出来たからでした。
でも、それが出来上がるまではわけがわからないままに戦い続ける生活、または逃げ続ける生活であったように思います。
いまでは、睡眠障害の悩みを改善することは、他の人生の問題にも応用できるものであると気付きました。
自分と向き合うこととはどういうことか?
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自分をダメだと思いこんでしまう
人は理由を必要とする。
理由があれば、納得することができる。
しかし、たとえば睡眠障害であると自分で認識していない(知らない)と、原因がどこにあるかわからない(理由が見いだせず)ために途方に暮れることになる。
つまり、自分が問題を抱えていることを自覚することが、自分と向き合うことの始まりになる。
可能性や違う選択肢をあきらめてしまう
人は可能性を持っているが、それは本人の意識によって差異となる。
おそらく、何もかも諦めない人はいないだろう。
自分に合わないことは諦める(選択しない)ものだから、人は自分の選択肢をいくつか設定する。
しかし、問題を抱えていると選択肢を自分で狭める結果となる。
睡眠障害においては、大人になって自分の時間を自分で決めるようになると、時間に関する選択肢を狭める。
失敗したくない、約束を守りたい、自分を卑下したくない、という願望と、大人としてうまくやる方法を身に着けるためにそうなる。
しかし、欲しい環境ややりたいことを諦めてしまうのはもったいない。
それは、どうやったらできるかを考えて行動すると、やれることもあるからだ。
できないことをできないで終わらせないこと。
それは選択肢を取り戻す。
歳を取ってくると諦めもつくと言うけれど、年齢が行くと体力もないしやることも多くて、外出も少なくなればそれもいいが、若い人には安易に諦めることはオススメしない。
若いうちは、色々なことがやれる。
だからこそ、失敗してもトライすることから学んでほしい。
自分の動ける時間でめいっぱい動いて、別の意味で選択肢を広げることも知ってみれば、自分に自信は戻ってくる。
理解者が得られない
私もそうでしたが、友達はおろか家族でさえもわかってはくれない。
母からすれば、なぜ私が普通に生活できないのか理解できなかったのだろう。
しかし、睡眠障害でなくともあらゆる面で人は人の気持ちを真にわかるわけではない。
分かってくれないとふてくされても、何も解決はせず、自分の気持ちは暗いままになる。
しかし、考えてみてほしい。
自分の障害は相手の障害ではなく、相手の問題でもない。
相手は苦労していない。苦労している私の扱いに苦労はしているが、解決はしてくれない。解決できるのは自分だけである。
人はその人の人生を生きるように生きていて、私が問題を持つように、その人にはその人の別の問題を持っている。
理解してくれることを期待してはいけない。
おそらく、睡眠障害は自分に与えられた課題として私は考えた。
そのことと戦った経験、悩み、苦悩から学んだことが、私の自己をさらに高めることになったし、障害について他の人より詳しくなった。
おろらく、何かは得たのだと思う。
明日を怖がってしまう
睡眠障害には失敗がつきものだ。
私は今でも、お店の予約などをキャンセルすることがある。それも連絡もいれずにだ。理由は寝ているからである。
仕事を欠勤したり遅刻することはもうなくなったし、人の約束をドタキャンすることもなくなったが、お店の予約は眠りが足りない日々が続いて、どうしようもない疲労感と疲れで動けない日にはキャンセルしてしまう。
お店の予約はそこまで心を痛めないと思うだろうか?
実際は違う。けっこう心を痛める。
せっかく時間を取ってもらっているのに悪いことをしてしまったと思う。
約束を守れない大人だと思われているかもしれない。
なにより、時間に行けない自分にがっかりする。
これが仕事だと精神的被害は甚大である。
それを何度か経験していると、若いころは明日が不安で仕方なかった。
行けないかもれないからだ。
しかし、私は自分を楽にする方法を見つけてしまった。
いつの間にかそうなったのだが、今日だけに生きるようにしたのだ。
昨日失敗したからと言ってもそれは昨日の話で、今日は今日の自分でしかない。1日が終われば、次の1日はまったく違う日だ。
私でさえも違う自分なのだと割り切るようになった。
これは、単に開き直ったともとれるが、ここまでの道のりは長かった。
おそらく、哲学や形而上学の本をたくさん読んで考えが変わったように思う。
人の細胞は1日で生まれ変わるという。
そして、人は意識からなる存在で、意識がなければ昨日も今日もない。
毎日、人は「今日である」と認識して今日の自分が形成される。
その認識がなければ、今日私は存在しないということだ。
たとえば、意識を何日か失ったとしよう。その人にはその数日間の記憶はまったくない。数日間、その人自身はたしかに存在していたにもかかわらず、その人の記憶には数日間は存在しない。
もし、過去の記憶を失えば、過去はなくなる。
失敗の記憶も、記憶を失ってしまえば消失し、明日への不安もなくなる。
そういうふうに生きれれば、自分は前だけ見ていけると思った。
100%それを実行できるわけではけっしてないが、ひきずることはやめにしたのだ。
ただし、今日に生きると決めたことで盲点もあった。
今日なにかで落ち込んでいると、眠り続けることをよしとするようになってしまった。とくに少しうつ気味になるとダメだ。
1日で回復し、翌日は何事もなかったのように行動するにせよ。
ただし、あまり明日を怖れることがなくなった。または次の機会を。
そのときはそのときで仕方ないと割り切る。
違う日になれば、違う私でいれるのだから。
障害と向き合うとは自分を受け入れること
結果的に、今、わたしが睡眠の問題を抱えていても、昔のように落ち込みすぎることがないのは、ここまでに書いたような自分の心の対処を覚えたことが大きいと思う。
それは自分と向き合うことであり、自分を受け止めることでした。
その他に以下のような理由もあるので参考に挙げておくと。
・一人で暮らすことで、生活時間を自分に合うように決められる。
・自分に合う時間での仕事を選べるようになった。
・自分の収入で生きているので、人に文句を言われることもない。
人生の問題は睡眠だけではありません。その数々の問題の中で私たちは自分のやり方を探り、自分の許容範囲を知り、自分がうまく生きれるような選択をします。
睡眠障害と向き合うことも、その問題の一つです。
悩みすぎるくらいなら、立ち向かうほうがいい。
自分が逃げているように思うなら、逆に戦ったほうが強くなれる。
そういうことをずっと続けてきて、私は強くなれた。
睡眠とも向き合い、これからも戦うことに不安はない。
なにより、睡眠障害以外にもたくさんの問題と私たちは向き合わなければなりません。一つのことに向き合えるなら他のことも乗り越えていけると、なによりも自分を信じる強さを身に着けることが、この人生の課題のように思います。
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