2019/01/16

長年の友人関係が終わるとき、それは恋愛の別れと似ていた

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長年の友人でも終わりはあるのだろうか。

そんな疑問を持ったので、今回はこれについて書いてみます。

友人関係の終わりは誰しもが経験するもので、それにはいろんな形があり、嫌な終わり方もたくさんある。

ここで書いている私の経験は、ある種キレイごとかもしれませんが、一つの形として読んでいただければ幸いです。

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相手を必要としなくなるのと、一緒にいられないことは別物

ある友人との付き合いがもうプラスではないことに気付いていた。

しかし、長年の友人を失うと、本当に一人になってしまう気がして私はずっと彼女に合わせてきたように思う。

彼女とはもう家族のようなもので、お互いの嫌なところやダメなところをよく知っていた。

そして、お互いの意見が合わないときには、いつしかお互いの弱さを突く攻撃をすることが頻繁になっていた。

家族でも、嫌なところを指摘されることがあるように、私と彼女もそうであった。

私はいつしか疑問を感じていた。

「友人って、もっとお互いを励まし合い、笑えるようなものじゃなかったかなぁ。」

彼女の話を聞くのがいつからか苦痛だった。

昔は家庭の愚痴だった、夫への不満だった。

それは夫以外の男との恋愛の話に変わった。

長年、男との恋愛話を聞きながら、私は不満だったのだと思う。

嫉妬だったのかもしれない。夫以外に男を持つ彼女の自由さへの。

彼女の夫が女を作って去ったとき、彼女はすさまじく荒れたが、私の心は冷めていた。

「他に男がいるあんたが、何を怒る権利があるの?」

もうそれは友人ではないんじゃないかと、どこかで思ってさえいた。

そして、今。
別れた夫と同じように、結婚している男性との恋に身を焦がす彼女に私は冷めきっていたのだ。

彼と会えないだとか、寂しいだとか、奥さんにばれたとか、そのすべての悩みが本当に馬鹿馬鹿しく思え、かといって冷たい態度を取るほどにも友人への労わりの心も残ってなくて。

淡々と話しを聞いてこう言った。

「もともと反対だとずっと言ってきた。自業自得だとしか思えない。私は彼の奥さんに同情する。
過去だって、私はあなたの別れた夫を擁護してきたのは知ってるでしょう?」

彼女は頷くだけだった。

彼女が必要でなくなったわけではないと思う。

長年の友人を失うのは惜しい。そして、彼女とも今でも温かい時間はあるのだから。

でも、一緒にいることはできないかもしれない。

なぜなら、もう傷つきたくないから。

人は裏切るものだと、昔傷ついた経験から、パートナー以外の人間と関係を持つことを許容できない私には受け入れられない。

古傷はうずく。

そして、冷たい私にあるとき酔っぱらった彼女が電話してきてこう言った。

「あんた、そんな冷たくて将来相談員の仕事に就けると本気で思ってるの?
よく考えてみなよ!」
(私はこのころ、心理学の勉強をしていたので、彼女は将来そういう道を目指しているのだと思っていたのだ。)

長く独り身の私にはその言葉はこたえた。

将来のことはいいのだ。何を目指すかなんてところまでは決まっていない。
ただ、不安で一人生きる私には、目標や目的は大事なものだったから。
それを否定されるのは、自分が揺らぐようで怖かった。

お互い傷つけあうのなら、一緒にいる必要はないのかもしれない。

そう思った。

彼女がいてくれるほうがいい。何かに弱い彼女と一緒にいることで、弱い自分を肯定できたから。

でも私はもう明るいほうを見たい。

希望とか目標とか、頑張りあう仲間とか、励まし合うとか、せっかく一緒にいるなら良いものを与え合う関係がいい。

寂しさを埋めるものでなく、寂しさを勇気に変える関係がいい。

そういう決意で距離を置こうと思ったのがはじまり。

恋愛と違って、また一緒にいられることもある

恋愛と違って友人関係の終わりは号泣しなかった。

泣く人もいるのだと思う。

私の後輩で、学生時代からの友人を、三角関係の末に仲たがいして号泣し、今でもトラウマに思っている子がいた。

私は泣いていない。ただなんとなく不安な感じがするだけだ。

ある別の友人がこう言ってくれたことは少し私をなぐさめてくれたように思う。
「時間がたったら、また一緒にいられることもあるかもしれないよ。
今は別の道を行く時期なんだよ。」

そうかもしれないなと思う。

でも、今まで自然に距離が離れた友人とは再縁することはあったけれど、終わりだと思った友人とは関係が戻ったことはない。

もうサヨナラなんだろうかと思いながらも、自分にとって必要なら選択するしかない。

人生にはいつもサヨナラがあって、私はいつまでたってもそれに慣れることができない。

ずっと一緒に入れる人なんているのかなあとさえ思う。

ただ、できるだけ明るいほうを見るのなら、また一緒にいられることもあるかもしれないと思って歩くほうがいい気がした。

長年の友人との別れと、向かいあい尽くした恋愛は似ていた

正直に自分の気持ちを言ったときに、友人はこう言った。

「わかった。でも、命の危機とかそういうときは連絡するね。
 幸せと成功を祈ってる!」

なんだそのキレイごと、って思います?

まあ、本当に長い付き合いなので、ある種もう感極まりない別れでもあったんですよね。

しかし、私も実はばっさりと縁を切るまでは考えていなかったので「大袈裟な・・・」と思いましたよ。

けど、さらっと「元気でね、そっちも頑張って」と返したんですね。

あとに思ったのは、やりつくした恋愛みたいな別れだな・・・ってこと。

一緒にいられなくても嫌いになったわけじゃなく、相手の健康とか将来の幸せとかを想うのには変わりはないと思った別れでした。

人との関係が終わるときは、次の出会いへの始まりだと思おう

その一連のできごとを、別の年上の友人からはこう言われた。

「どっちが上とか下とかじゃなくて、あなたは自分のレベル、つまり自分が見る世界と同じ方向を見てくれる人と付き合うべき時期なんだよ。だから、そういう付き合いを選んでいくことが大事なんだよ。それに、続く縁ならやっぱり将来一緒にいるもんだと思う。」

それは私もずっと思ってたことだったので、うんうん頷きながら納得した。

それ以降の日々、楽しく過ごせているかといったら、正直不安を感じる日々は続いています。

それでも、前を向いてやっていくしかない。

生きるしかない、生きている限りは。

自分で選択したって覚悟と、生きる勇気さえあればやっていける。

不安は消えないけど、毎日は過ぎていくし、過ぎていきさえすれば足跡は残る。

足跡が人生なのかもしれないなと思った一つの経験です。

今回は、本当にただのブログになってしまいましたが、誰かも切なく思う別れがあったなら、同じ切なさを知っているよと伝えたいと思います。

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