長年の友人でも終わりはあるのだろうか。
そんな疑問を持ったので、今回はこれについて書いてみます。
友人関係の終わりは誰しもが経験するもので、それにはいろんな形があり、嫌な終わり方もたくさんある。
ここで書いている私の経験は、ある種キレイごとかもしれませんが、一つの形として読んでいただければ幸いです。
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目次
相手を必要としなくなるのと、一緒にいられないことは別物
ある友人との付き合いがもうプラスではないことに気付いていた。
しかし、長年の友人を失うと、本当に一人になってしまう気がして私はずっと彼女に合わせてきたように思う。
彼女とはもう家族のようなもので、お互いの嫌なところやダメなところをよく知っていた。
そして、お互いの意見が合わないときには、いつしかお互いの弱さを突く攻撃をすることが頻繁になっていた。
家族でも、嫌なところを指摘されることがあるように、私と彼女もそうであった。
私はいつしか疑問を感じていた。
「友人って、もっとお互いを励まし合い、笑えるようなものじゃなかったかなぁ。」
彼女の話を聞くのがいつからか苦痛だった。
昔は家庭の愚痴だった、夫への不満だった。
それは夫以外の男との恋愛の話に変わった。
長年、男との恋愛話を聞きながら、私は不満だったのだと思う。
嫉妬だったのかもしれない。夫以外に男を持つ彼女の自由さへの。
彼女の夫が女を作って去ったとき、彼女はすさまじく荒れたが、私の心は冷めていた。
「他に男がいるあんたが、何を怒る権利があるの?」
もうそれは友人ではないんじゃないかと、どこかで思ってさえいた。
そして、今。
別れた夫と同じように、結婚している男性との恋に身を焦がす彼女に私は冷めきっていたのだ。
彼と会えないだとか、寂しいだとか、奥さんにばれたとか、そのすべての悩みが本当に馬鹿馬鹿しく思え、かといって冷たい態度を取るほどにも友人への労わりの心も残ってなくて。
淡々と話しを聞いてこう言った。
「もともと反対だとずっと言ってきた。自業自得だとしか思えない。私は彼の奥さんに同情する。
過去だって、私はあなたの別れた夫を擁護してきたのは知ってるでしょう?」
彼女は頷くだけだった。
彼女が必要でなくなったわけではないと思う。
長年の友人を失うのは惜しい。そして、彼女とも今でも温かい時間はあるのだから。
でも、一緒にいることはできないかもしれない。
なぜなら、もう傷つきたくないから。
人は裏切るものだと、昔傷ついた経験から、パートナー以外の人間と関係を持つことを許容できない私には受け入れられない。
古傷はうずく。
そして、冷たい私にあるとき酔っぱらった彼女が電話してきてこう言った。
「あんた、そんな冷たくて将来相談員の仕事に就けると本気で思ってるの?
よく考えてみなよ!」
(私はこのころ、心理学の勉強をしていたので、彼女は将来そういう道を目指しているのだと思っていたのだ。)
長く独り身の私にはその言葉はこたえた。
将来のことはいいのだ。何を目指すかなんてところまでは決まっていない。
ただ、不安で一人生きる私には、目標や目的は大事なものだったから。
それを否定されるのは、自分が揺らぐようで怖かった。
お互い傷つけあうのなら、一緒にいる必要はないのかもしれない。
そう思った。
彼女がいてくれるほうがいい。何かに弱い彼女と一緒にいることで、弱い自分を肯定できたから。
でも私はもう明るいほうを見たい。
希望とか目標とか、頑張りあう仲間とか、励まし合うとか、せっかく一緒にいるなら良いものを与え合う関係がいい。
寂しさを埋めるものでなく、寂しさを勇気に変える関係がいい。
そういう決意で距離を置こうと思ったのがはじまり。
恋愛と違って、また一緒にいられることもある
恋愛と違って友人関係の終わりは号泣しなかった。
泣く人もいるのだと思う。
私の後輩で、学生時代からの友人を、三角関係の末に仲たがいして号泣し、今でもトラウマに思っている子がいた。
私は泣いていない。ただなんとなく不安な感じがするだけだ。
ある別の友人がこう言ってくれたことは少し私をなぐさめてくれたように思う。
「時間がたったら、また一緒にいられることもあるかもしれないよ。
今は別の道を行く時期なんだよ。」
そうかもしれないなと思う。
でも、今まで自然に距離が離れた友人とは再縁することはあったけれど、終わりだと思った友人とは関係が戻ったことはない。
もうサヨナラなんだろうかと思いながらも、自分にとって必要なら選択するしかない。
人生にはいつもサヨナラがあって、私はいつまでたってもそれに慣れることができない。
ずっと一緒に入れる人なんているのかなあとさえ思う。
ただ、できるだけ明るいほうを見るのなら、また一緒にいられることもあるかもしれないと思って歩くほうがいい気がした。
長年の友人との別れと、向かいあい尽くした恋愛は似ていた
正直に自分の気持ちを言ったときに、友人はこう言った。
「わかった。でも、命の危機とかそういうときは連絡するね。
幸せと成功を祈ってる!」
なんだそのキレイごと、って思います?
まあ、本当に長い付き合いなので、ある種もう感極まりない別れでもあったんですよね。
しかし、私も実はばっさりと縁を切るまでは考えていなかったので「大袈裟な・・・」と思いましたよ。
けど、さらっと「元気でね、そっちも頑張って」と返したんですね。
あとに思ったのは、やりつくした恋愛みたいな別れだな・・・ってこと。
一緒にいられなくても嫌いになったわけじゃなく、相手の健康とか将来の幸せとかを想うのには変わりはないと思った別れでした。
人との関係が終わるときは、次の出会いへの始まりだと思おう
その一連のできごとを、別の年上の友人からはこう言われた。
「どっちが上とか下とかじゃなくて、あなたは自分のレベル、つまり自分が見る世界と同じ方向を見てくれる人と付き合うべき時期なんだよ。だから、そういう付き合いを選んでいくことが大事なんだよ。それに、続く縁ならやっぱり将来一緒にいるもんだと思う。」
それは私もずっと思ってたことだったので、うんうん頷きながら納得した。
それ以降の日々、楽しく過ごせているかといったら、正直不安を感じる日々は続いています。
それでも、前を向いてやっていくしかない。
生きるしかない、生きている限りは。
自分で選択したって覚悟と、生きる勇気さえあればやっていける。
不安は消えないけど、毎日は過ぎていくし、過ぎていきさえすれば足跡は残る。
足跡が人生なのかもしれないなと思った一つの経験です。
今回は、本当にただのブログになってしまいましたが、誰かも切なく思う別れがあったなら、同じ切なさを知っているよと伝えたいと思います。
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こんにちは。ブログ拝見しました。私は50代の男性です。とても辛い経験をしましたね。実は私も出逢いと別れを何度もしてきました。そして現在の自分に卑屈を感じていません。なぜなら人生の正解という概念が人の数だけあるからです。古くからの言葉に諸行無常の響きありとあるように万物は固定するものではなく、移り変わるものだといわれています。貴方の人生の肩車になると幸いです。ありがとうございました。
ともさん、コメントありがとうございます。
私はいまだに別れが寂しく感じることが多いですが、後悔とは少し違い、切ないという言葉が近いです。
しかし、ともさんが言うように、自分自身を卑屈に感じてしまう部分があります。
それを自覚させられ、自分の価値を忘れないようにしたいと思います。
読んでいただきありがとうございました。
拝見しました。自分は別れようとしている相手が親友兼恋人です。自分はどちらかというとこの記事で言う相手の女性側だと思います、相手の前では自分の好きなように振る舞いますし割りと攻撃的な発言もするので。親友に加えて恋人という感情が自体をかなり複雑にさせていているように思います、もう同じような辛い感情が半年以上もぐるぐると自分の中を廻っています。自分の場合、問題は相手に恋愛感情はなく、自分だけが抱いている感情だということで…、相手が前へ進めるようにこちらの想いは絶ちきるべきだということは分かるのですが、そして何度もそれを決意してきたのですが、半年以上も気持ちが揺らいでいて安定していません。無理に相手のことを嫌いになろうとしていますが一度、愛してしまった人を嫌いになることは難しいです。気持ちが安定しないため仕事に支障もきたしています。無意識に相手のことを考えてしまい、それは良くないと雑念は払拭しようとするのですが…やはり解決策は新しい出逢いなのでしょうか。世の中の情勢も相まって本当にきつい日々です。いつになったら解決できるのか毎日、悶々とした日々を過ごしています。
Mtさん、コメントありがとうございます!
あなたの状況が複雑なので、理解できているのか不安ですが、あなたは男性で、付き合っている彼女と親友でもあるということでしょうか?
もしくは、男性対男性、女性対女性??
(私はそういった知り合いが数人いるので偏見はないですが、性別によって複雑さは増すと思いますので・・・)
コメントを見る限り、あなたは「自分の好きなように振る舞い攻撃的な発言をする」というはっきりした人であるのに、
本当の気持ちはなかなか話せないといったところでしょうか。
恋人であるのに、彼女があなたに想いがないというのは、あなたの想いすごしかもしれませんよ。
女性は、近しい相手に愛情を抱く生き物です。
何も思っていないのに、付き合い続けられる人は、親友でもいられないと思います。
親友であるのなら、お互いに信頼関係があるのでしょう。
一度、腹を割って、苦しい胸の内を正直に打ち明けてみるべきではないでしょうか。
あなたの繊細なところを彼女は知らないのかもしれません。
一人で悩み続けることは、苦しみ続けることで、解決にはなりません。
悩み続けることで、諦める覚悟ができるなら意味はありますが、半年もツライ日々を過ごしているのなら、
相手に知ってほしい、あきらめがつかないということだと思います。
根本を整理して、自分の望みを明確にしてください。
「相手に好きになってもらいたいのか?」
「関係を本当に終わらせたいのか? 親友としてでも続けていきたいのか」
「どうすれば、自分が苦しくなくなるのか」
「親友でいたいのか、恋人でいたいのか」
あなたの中で、恋人と親友のどちらの優先順位が高いのか、見つめてみるべきだと思います。
他人である私が言えることは、的外れかもしれませんが、あなたの心が解決先を見つけるのを祈っています。
初めてまして、私も先日親友に別れを告げてきました。私(既婚男)は仕事先で出会った女性(19歳年下婚約者あり)と4年以上友人関係を続けてきました。実は私はSFベイエリア在住でその女性はインド出身なんです。
最初のうちは「ああ彼女は自分を警戒してるな」というのが良く分かりました。と言うのも彼女には婚約者がいる事を、知り合って数日後に言って来たからです。なかなかの美人である彼女は色々男から言い寄られたのだろうと推測できましたし、実際その通りだったようです。彼女は一般的なインド女性の例に違わず、恋愛には一途な人ですからそれが相当嫌だったのでしょう、私に予防線を張って来たのです。勿論私にはそんな思いなど微塵もなく(美人だなとは思いましたがw)接していました。実際友人関係になってすぐに妻にも彼女を紹介しましたしね、でも今考えるとそれは軽率な行動だったなと思います。
私が妻を彼女に会わせたのはやましい事はしないよ、というつもりだったのですが、やっぱり奥さんとしては旦那が若い女性と親しい関係になるのは(例え友人関係だったとしても)気分の良いものではないですよね、あからさまに彼女を批判し、彼女と関わらないように言ってきました。でも私はやましい事はしてないし、そのまま彼女とは友人関係を続けてきました。
でも先日妻が彼女と関わっている私に離婚をほのめかすようになりました。私は家族を愛していますし、何より子供達に悪影響を与える事はできません。いくら彼女はただの友人だと言ったところで妻は聞く耳持たずです。でも妻の言う事も理解できます。もし妻が若い男と友人関係になったら私も100%受け入れられる自信がありませんから。
ここまで事がこじれてしまったら、このままと言う訳にはいきません。彼女には、付き合っているうちに別の感情が芽生えてしまったから、もう友人として付き合えない、と言って別れました。なぜそんな嘘をついたかと言うと、妻は私が浮気していると決めつけていましたし、それを理由に友人関係を解消するなど彼女の性格的に受け入れないのを知っていたからです。
徐々に信頼関係を構築し、今では本当に良い関係を築きあげてきましたから、彼女と別れるのは本当に受け入れ難かったです。私は狭く深くという交友関係が好きですから友人一人を失うのは非常に大きな損失なのです。信頼関係を築きあげる難しさを十分に知っている人なら、それを一瞬で失う辛さは理解できるでしょう、しかも不本意な形で。だから今は大きな喪失感に苛まれながら生きています。長文駄文失礼しました。
はじめまして!私も今まさに親友との別れに直面しています。私は、いまだに手放せずにいるんですが…
何があった訳ではありません。親友からしたら、私が重荷になったのでしょう。
私が彼女にしてあげられる最後のことは、、彼女の世界から、出ていってあげることなんだな…と思うと、恋人との別れのようにせつないです…
でも、私が他にできることはありませんね。
この別れにも、意味がきっとあります。自分にそう言い聞かせて前を向きたいと思います
Mitsさん、コメントありがとうございます。
とても素敵なお話を聞かせていただきました。
奥様にも、ご友人の女性にも誠実な対応で、心温まるお話だなと思います。
そんなMitsさんだからこそ、良い友人関係を築くことができたのでしょうね。
私も狭く深く友人を作るタイプで、友人との別れは寂しさと未来への不安を感じます。
でも、与えてくれた愛情と、過ごした時間は無駄ではなく人生の糧になっています。
これからも良い人々と出会えると思います。私もあなたも。
tunaさん、コメント嬉しいです。
理由がわからないというのは、少し寂しいですよね。
でも、なんとなく離れてしまう友人もいます。
おそらく、お互いの人生の道が分かれていっているのでしょう。
これは知人に言われたことですが、ずっと後になって再会する友人もいます。
今、離れることは自分にとって違う出会いや環境の変化の前触れかもと思えば、
それは意味のあることなのでしょう。
相手を思いやるtunaさんの気持ちはあなたのやさしさです。
穏やかに受け止め前を向いて歩いていってくださることを祈っています。