こんにちは、南カレンです。
今回は、友達について話をしたいと思います。
というのも、最近、親しい友人と離れることが最善な気がした私はあることに気付きました。
それは、他に親しい人がいないということ。
年齢を重ねるにつれ、生活が変わっていくことで、過去に親しかった人でも疎遠になっていくのはよくある話。
何年に一度かは会うことがあっても、日々の生活では交流があまりないことも当たり前になっていきます。
さらに、一人暮らしとなると時々ふと痛感します。
「なんか、最近ずっと一人な気がする・・・」
そう感じると、虚しさや寂しさを感じたり、結婚に憧れたり・・・。
でも、親しい友達がいないということは、自分を憐れんだり悲しんだりすることなのか?
私なりに考えてみたことをまとめて書いてみました。
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親しい友人と離れる時期もある
友達について悩む一番最初の時期と言えば、学校生活ですよね。
とくに中学時代。
思春期を迎えた自分と家族の関係も難しい時期ですが、さらに学校でのグループ付き合いの精神的ストレスは相当です。
こういうとき、友人が周りにいっぱいいる人気者って羨ましく感じたものです。
ああいう人は、もともとの気質なのか、友人関係を軽々とやってのけてしまう。
私のような人見知りには到底マネできません。
しかし、私のような人見知りにも、いつの間にか一緒にいる子はいました。
当時はそんなことを考えもしなかったですが、そのときに仲良くなってもお互いの状況で一緒に行動しなくなるのは、よくあるんですよね。
中学や高校なら、一緒に行動しなくなると「どうしてこうなったんだろう」とか「私が何かしてしまったのか」と悩む人もいるでしょう。
しかし、大人になっていくと友人と離れる時期はあるんだと断言できます。
お互いに目の前のことに情熱を燃やす時期や、何かを必死で頑張る時期、生活が忙しくなる時期、いろんなことがあります。
そういうことを理解していった私は、友人が少ないと今感じても、冷静でいられます。
子ども時代だったなら、ウツになるくらい悩んでいたはずのことも、今は「そんなもんだよな」と思える。
ある種、せつないことかもしれませんが、別の意味では正しいことなのだと考えました。
自分がした経験や環境などで考え方や人生観が変わるとき、それまでの友人とは共通点が少なくなったとしても、それは新しい人間関係を築くチャンスであり、人生が次の友人を用意しているときなんだと。
そう、自分の求めるものが変わると、今の自分に合う人も変わるのです。
ただし、ここでむやみに悲しまないこと。
今までの友人とも、必要であればまた会うときも来ます。
長年に続く友人となる人は、離れる時期があっても久しぶりに会うと昔みたいに普通に話せる人のことなんだと思います。
親しい友達よりインスピレーションや影響を受ける人を増やす
友人の中でもとりわけ仲が良い友人。親友と呼べるような人間。
それを持っていると言える人はどのくらいいるのでしょうか。
私はある友人と20年来の付き合いを続けてきて、彼女を親友だと思っていましたが、最近友人の定義が変わりつつあります。
それは、たとえ親しい長く続いた友人であっても、ずっと一緒にいなければならないわけではない。
むしろ、その時期その時期にインスピレーションを与えてくれる人と付き合うほうが人生にプラスをもたらすように感じています。
一人の人間と密に付き合うことは安心感をもたらしてくれますが、親しいからこそ、どんどんと遠慮がなくなっていき、家族と同じように軋轢ができたり、干渉しすぎてしまうデメリットも増えます。
さらには、一人がいる安心感から、他を積極的に求めずに、友好関係がせばまってしまうことになります。
本当に良いのは、バランスを取ることです。
そうでなければ、たとえばその親友が死んでしまったら? 自分が明日死んでしまったら?
一人になったことを痛切に感じ、周りに誰もいないことに気付き、他の人と関係を築いてこなかったことに気づくでしょう。
私はそんなことを考え、また、お互いにアドバイスや切磋琢磨するための論争が、いつしか批判し合いになっていることに気付いたのです。そして、親しい友人と離れる決断に至りました。
今、本当に必要なのは、インスピレーションや勇気を与え合える関係だと思ったのです。
それにはどこまで深い関係かだとか、どこまでお互いのことを知っているかは関係ないな、と。
振り返って思うことは、親しい関係を築くのは長年の積み重ね。
だからこそ、その時期にインスピレーションを得れる人と、交流するのが大切であると私は思います。
次に出会う人もまた、自分がこの先付き合っていく友人になるかもしれないのですから。
学生時代ではなく、大人だからこそ、人間関係には幅を持たす必要があるのです。
親友が一人いればいいの落とし穴
私がそうでしたが、長年の友人だからと腹を割ってなんでも話していると、あることが起こります。
その1つが甘えです。
「相手は自分のことを大事に思ってくれてる」「話を聞いて、自分を肯定してくれる」「何があってもそばにいてくれる」
相手に過剰な期待をもってしまうんですね、いつの間にか。
そして、そういう反応を相手がしてくれないときには、ひどいと感じる・・・。
「友達なのに」「親友なのに」
これって、学生時代と変わらないじゃん!と、自分を情けなく思ったりしました。
そして2つめは、相手を一番傷つける方法を知ってしまうこと。
親しく付き合っていると、相手のダメなところや弱みを知ることになります。
そして、その部分は相手にとって一番ナイーブな場所。
これを喧嘩したときや、相手が思い通りにならないときに逆手にとって相手を攻撃する武器として使うことが起きる。
正直、ひどい仕打ちです。
でも、相手の弱い部分をつくことが簡単にできてしまうんですよね、親しいからこそ。
いい大人なら、そこは絶対突いたらダメなポイントだと察して発言を控えるはず。
でも、人間そんな出来たもんじゃないというのが私の感想。
腹が立って、お互い言い合いすると、気づかないうちに相手を傷つけているって、気づきました。
しかも、親しいだけにポイントが的確すぎて、グサグサ刺さる。
「親しいからこそ、言えることもある」「喧嘩し合える友人は親しいからこそ」なんて思いますか?
めっちゃ傷つきますよ。誰とケンカするより。
家族とケンカするのが、相当キツイのとおんなじです。
そう、友人も長年になると家族のようになるんですね。
ダメなところを的確にダメ出しし、キツイ一言を放ち、説教も愚痴も混じる・・・。
親友が一人いればいい、なんて思ってはいけません。
親友はある時には最大の敵となりうる。
だって、ツライときにいてほしいのが家族でなく友人な時、友人ではなく恋人にいてほしい時、そういう時は無意識に話す相手や頼る相手を選んでいますよね。
弱った部分、今の悲しみを分かってくれる人は一人でなくていい。
むしろ、一人の人が自分のすべての弱さや、辛さを受け止めてくれると思うのが落とし穴です。
自分に今パワーを与えてくれる相手を正しく選ぶことが、最短で自分を癒すことにつながると私は思います。
そのために、友人はいろいろな面でいたほうがいい。
友人でなくても、知人でもいいのです。
職場の話ができる同僚、恋愛の話が合う同性の友達、クールに受け止めてくれる親や兄弟、友達とは違うけれども毎年合う従兄弟(従姉妹)、甘えさせてくれる恋人、スポーツ仲間や飲み仲間など趣味友達、先輩や後輩、勉強仲間・・・。
あなたは、どんな人間関係を持っていますか?
それはある時、親しみ深くなり、ふとしたことで笑い合える仲になったりするのです。
私は親しい友人が一人いるのだから、それでいい。
他の人に何を言われても、どう思われても、一人の人が自分をちゃんと知っててくれているからいい。
私はずっとそう思ってきました。
しかし、最近それが間違いであることに気付きました。
たとえ、どれだけ長い付き合いでも、相手が自分をまるごと知っていて、まるごと受け入れてくれることなんてないのです。
受け入れられない部分も折り合いをつけていけることが、長く続く関係の条件ですが、相いれない部分もある。
それが人間らしさでもある。
私は「親友」という幻想に酔っていたのかもしれません。
「親友」が「親友」でなくなる日もくる。
親友だからとこだわることこそ、視野を狭くしている1つの要因になっていたのですね。
そして、そのために多くの友人との縁をないがしろにしてきたように感じました。
もっと、他の人に目を向けていれば、他の人とももっと交流があったかもしれないと思ったときに、これからは少し一人で過ごしてみて、気になる人と交流するようにしてみようと意欲がわきました。
小さい世界にいつのまにか慣れきってしまうことが「親友」という名の落とし穴である。
それはとても素晴らしいけれど、依存体質の私には逆効果だったのだと思いました。
これからだって出会いはある
思い出せば、ある時期、その友人とほとんど連絡を取らない時期も何度かありました。
それは2~3年くらいですが、他の人との交流が盛んで、それが楽しくて、充実していた時のことです。
そのときの私はパワフルであり、活発で、いろんなところに出かけていました。
若いから・・・とも言えますが、今からでも可能なんじゃないかと思うのが最近の心境です。
このまま一人の友人とだけ密接に付き合っていくことは、先への不安でもありました。
新しい仕事をすれば、新しい人と出会う。
新しい趣味を繋がって人に出会う。
それがたとえ深い関係にならなくても、当初はその友人だって深くなるかどうかなんてわからなかったわけです。
気づけばずっと一緒にいただけで、「一緒にいたくない」と思って離れた時期も何度もありました。いつ会えなくなっていてもおかしくなかった。
だから、深い関係になれないかもと最初から避けるよりも、先を考えずに目の前の人と交流することが、将来の縁につながるのではないでしょうか。
最近、働いている場所の人たちと、だんだん軽口をたたけるようになってきました。
年齢が違いすぎるので、プライベートの友人になることはないかもしれませんが、楽しいです。
「友人」の原石はそんな交流の先にあるもので、「彼らは私にそこまで興味はないんだな」と思うときに、自分にそう言い聞かせています。
親しい人がほしいと思って、寂しくなったり焦ったりするときもまだまだありますが、これからだって出会いはある。そう思ってないと人生を楽しみつくせない気がしています。
私が思う友人の定義とは
私は今までの「親友」がどんな友達なのかわからなくなりました。
それ以上に「友人」ってなんだ?
長い期間や深い関係が重要なのか? そうじゃないだろう。
人生を楽しくいろどる思い出の中には、親しい友人ではない人との時間も数多くあったのです。
つまり、私の中で新たに出来上がった「友人」の定義は、以下のようなものです。
1.そのときに一緒にいて楽しめる(または落ち着く)
2.インスピレーションや、元気だったり勇気をもらえる瞬間がある
3.お互いの生活や人生を尊重する=相手に依存しすぎない
(これを今までは寂しいと私は思っていましたが、今となっては大事だと考えています。)
4.一人の人間として尊敬する
(親しくなるごとに、遠慮がなくなっていくことに注意しなければなりません。)
5.相手の生活や夢を純粋に応援できる
(嫉妬や羨ましさ、自分への卑屈、比べたりしない、そういう余計なことを考えないで、応援できたり一緒に喜べること。)
今わたしは、「新しい友人が欲しいな」という純粋な気持ちで人と付き合うことにしています。
正直、プライベートで一人でいるときには孤独感を今でも感じますが、友達がどうこう悩むことよりも、今目の前に熱中することや頑張っていることの延長線上に、人間関係もあるのだと期待しています。
「友達はもういるからいいです」って思考があると、雰囲気にも出ると思います。
恋人いますオーラと同様に、人に見えない壁を感じさせて出会いが少なくなるのと同じように。
だから、友達作りたいな~という気持ちで人と接する。
深い関係までに慣れなくてもいい。一緒に今を楽しめたらいい。
そういう気持ちが、ゆくゆくは長く続く人間関係の始まりにつながると信じます。
楽しかったあの頃みたいな時間は、またきっと持てる。
大人でもあきらめないぜ!
っていう今回の記事はいかがでしたでしょうか。
考えてみれば、私はいっつも最後にはポジティブにまとめるという流れですね。
落ちに落ちまくった体験談も書いてみようかと思います。
⇒こちらもどうぞ【関連記事】友達が少ないことへの不安を解消する
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